念願かなって、第二の父母祖母の墓参を果たす。11時に墓所に集合して、40年ぶりに同じ釜のメシを喰った同胞と再会。第二の父母はこの世にないが、あの頃まだ小学生だった娘さんがいろいろとお世話してくださった。ありがたい。
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墓参のあと、懐かしい築百一年の母屋に案内していただく。小宴をご準備いただいていて恐縮する。あの頃は6年間裏口から食堂に出入りしていて、正式な玄関は、一番最初の手続きのときくらいしか入ったことがないような気がするのだが、そこに立派な書が掲げてあるのに気がついた。最初に手続きのためにうかがったときにも見かけたような気もするがさだかではない。その場ではうまく読むこともできなかったが、帰途のぞみの車中で拡大して書かれている文字が読み取れて…後に原典が武者小路実篤《友達の喜び》であると知る。
友達と話しして/話がはずんで来て/二人のこころがぴったりぴったりあって/自づと涙ぐむとき/人は何物かにふれるのだ
先代のすゑおばあちゃんが下宿屋を始めたのは、ご親戚で東京の大学に行った方が苦労されたことを聞いてのことだったという。ひょっとすると書を書かれたのはその苦学されたご親戚の方かもしれない。
悪さをしてご近所の迷惑になるような貧乏学生を、社会の片隅でお役に立てるようにちゃんと一人前に育ててくださったのは、実に謙虚で慎み深い、すゑおばあちゃん、初ちゃん、マサアキさんの慈しみのおかげである。
なにか教えてやろうとか、背中を見て覚えよというわけでもなく、怒られたという記憶もなく、まさに「ご薫陶」によるのであるが、その秘密を解く鍵がこの書にはあるような気がする。あらためて第二の父母の深い愛に感謝したのであった。
先日の最終報告会の後の懇親会で、自分の中のコアまで降りて、そこにあるものを持って返ってくる質問が出た時に、この書の画像があれば、話に百万倍説得力が加わったかもしれないのだが、機械学習でつながるニューロンのネットワークになぞらえるならば、
この「ほえた」はまちからものを貰ってばかりはいなかった。見ようによっては何者かを町に与えていた。多分町の人達は与えたものよりも、彼から貰ったものの方が多かったかも判らない。<<乞食の贈り物(pp.154-157)
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とつながっているかもしれない。
あるいは、ツアーで訪れた先でうかがった、suusenテンプルコミュニティハウスのオオタニ元館長も、多くのものを若い人に与え続けた方であったと思われるのだった。