シンギュラリティー後のセンター試験

 朝日新聞デジタルで、この週末実施されたセンター試験の地学の問題を見る。
 深成岩の切片を作って偏光顕微鏡で見た45年くらい前の感激を思い出すのだが、正解にはたどりつけず。
 今年もリスニング試験で再開試験になったり、その他の科目でも再試験になった大学があるという。
 一方で、スマホを操作していてカンニングで失格になった受験生もいるらしい。
 センター試験は、外部記憶に頼らない知識や外部の演算ユニットに頼らない計算・推論能力を評価する試験として実施されているわけであるから、それは当たり前ということになる。言ってみれば、それが知の最高学府に至るために唯一必要とされる能力とされてきたわけである。
 だが、知識量も知的推論や計算能力もAIの方が圧倒的に上回った時、現状のセンター試験で評価できるのは学力というよりも伝統芸能的才能ということになってしまわないだろうか。いやそれでも、人間の考える葦としての基盤を捨ててはイカンという意見もあるに違いない。その上で、AIとちゃんとやっていく能力とか、インタフェースを設計できる基盤の知識とかが問われるようになったりするのだろうか。とか考えてみる。
 さて、例年マスコミにあげつらわれる試験監督の居眠りとかいびきとかは今年はどうだろうか。
 試験監督をされている大学教員の側の意見を検索してみると、マニュアル通りにやるだけの仕事なので研究者には向かず、いやいややってるうちに居眠りしてしまいがちというような意見から、センターからの委託費の監督者への支払額が大学によって異なる謎とか、いろいろな問題点が指摘されているようである。
 想像するに、全国のどの受験場でも同一の条件で受験できるよう保証するということを、監督者が融通の利かない機械のマネをして定時に台本通りのスクリプトを読むことでごまかしているわけである。
 なので、一分でも早かったりすると大変であるし、一秒でも遅れたりするとタダではすまないのであろう。
 それに加えて、どの受験室にも良識のある潔白な立会人がいて、不正行為をせずに解答した成績であることをきちんと裏書きしてあげられることが求められていると解釈される。その意味では、不正行為の監視は、すぐにスリープモードに入ってしまう人間より、ビデオアシスタントレフリーで録画記録分析したほうが確実ではないか。しかも証拠をフラッシュメモリに記録保存すればいつでも検証できる。
 もうひとつ進んで、視覚に障害のない受験者は、VRゴーグルを着けてVRの中の受験室で受験するというのはどうだろうか。

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