河井寛次郎氏の夢

 降り続いた雨が上がり、雲間からのぞいた星を眺めていると、飛びながらククククククククと啼く鳥の声が聞こえる。?次郎さんの書いていた水鶏であろうか?とつい思ってしまう。
 中学2年の頃、学校の斡旋で記憶が正しければ清水書院発行の月刊の学習雑誌を買っていた。内容はたしか5教科で習う内容のまとめと問題集のようなものであったが、ほとんど記憶はない。むしろ毎号連載されていた河井寛次郎氏の明治の頃の少年時代の思い出の短編のエッセイを楽しみにしていた。
 その中ではっきり記憶しているのは、夜姿を見せずに啼き声だけ聞こえる鳥の話と洋行帰りの人の幻燈会の話である。後者は今でいう、スライドショーの最中に、映っている洋館の窓が開いて金髪の女の子がこちらをのぞいたのをたしかに観た、というようなお話であったと思う。これはオカルト話ではなくて、氏の感受性の生み出したイリュージョンなのであろう。しかし、今から思えば、数年前までの銀塩のリバーサルフィルムでのプレゼンは、寛次郎さんの幼年時代から変わらないテクノロジーであったということだ。というか、筆者の無意識の底に幻燈器で投影される動画というモチーフが沈んでいて、それがwebページやflashアニメをはじめて見たときに「コレコソ寛次郎サンノ夢ヲカナエルモノダ」と耳元で囁くようなのである。
 というわけで、河井寛次郎氏は、高名な陶芸家としてではなくエッセイストとして、筆者の人生の通奏低音を作った方のお一人であると言えるのだが、もう一度読み返したいと思っても、その学習雑誌はそっくりいとこに讓られ行方知れずになり、後年国会図書館で見つけることもできなかった(絶対にあるはずであるが)。その後河井?次郎記念館にお邪魔して、販売されていた幾冊かのエッセイ集を拝見したが、これらのエッセイを収録した本は見つけられなかった。
 後日記:これらのエッセイは、火の誓い (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)に収録されている「蚯蚓の鳴声」と「洋灯・幻灯」である。筆者は、後者のあらすじを上述のように記憶していたが、これはまったく別のストーリーと置き換わってしまっていた。?次郎さんは、子供達が「何度見ても飽かなかった」のが色つきの写真の錦帯橋厳島で、「どうしてこんな美しいものが自分達の知らない国にあることかとためいきをつ」き、憧憬の思いに「やり切れなくなったりさえした」。と書いている。そこには西洋の風景も洋館の窓からのぞく女の子も出てこない。ひょっとすると、おなじ雑誌の国語のページの問題の文章であったのかもしれない。[本]

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