河井寛次郎さんをめぐる旅

 来年の正月の還暦記念中学校同窓会のお誘いが届いた。欠席の返事を書いた葉書を、投函しそこなってカバンに入れて持ってきてしまった。
 中学生の時に購読していた月刊学習雑誌に連載されていた河井寛次郎さんのエッセイには、心を啓かれた思いがずっと残っていて、独身の頃に夏休みをとって京都に行って、河井寛次郎記念館を訪ねて、さらにその魅力の虜になった。
 ただ筆者の読んだ原文が収録された本は当時の河井寛次郎記念館にも展示されておらず、なかなか捜し当てることができなかった。googleのおかげでそれが《火の誓い》に収録されていることを発見したのは10年前のことである。その中に収録されている《部落の総体》で、寛次郎さんは川西村大字植田(現精華町植田)の集落に「始めから終いまで」「魔法にかけ」られてしまったという。これは月刊誌には未収録の原稿であった。釈迦の池を取り囲むように建てられた植田集落の家並みをGoogle streetviewで眺めて、死ぬまでに実際に見に行くことはできるだろうかと思っていた。
 本日ミーティングが終わってから、(おそらくハネムーン以来30年ぶりに)河井寛次郎記念館を訪問し、さらに新祝園駅で下車して釈迦の池を一周して帰ってきた。
 このパノラマ写真は、行きましたという証拠写真にはなっても、魔法のような魅力が伝わると思えないが、10年前には写真を拝見できた「けい淮さんのBabaのひとりごと」がリンク切れとなっているので、一応現況を紹介しておく。池の縁にしっかりと石組みを築いて建てられた家並みのディテールには東洋のベニスのような趣きが宿っていて、しかもそれが閉じている、というところに箱庭的な美があり、四季の生き物の営みを内包しているであろうと考えるとものすごく愛らしく思われる。果たしてそれが寛次郎さんの感激と同じなのかどうかはよくわからない。そして、ちょうど半周したあたりにあった郵便ポストに同窓会の葉書を投函した。京都府精華町の消印に同級生はきっと戸惑うことであろう。
 なお、池の堤にはNPO法人精華町ふるさと案内人の会による案内が掲示されている。
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