七代目樽金の寓話

 尼崎市が、廃校した大学からの23万冊の寄贈書を5年がかりで整理し、公開にこぎつけられたという。OPAC登録のためのシステム改修には6千万円必要なので断念された(現時点では行っていない)由。
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 この記事を読んで胸に去来するのは、《猫》に登場する七代目樽金(Tarquine the Proud)のエピソードである。
 「予言か何かほかで見られない事が書いてある」本九冊を値切って、三冊また三冊と焼き捨てられた挙げ句、「焚(やけ)余(あまり)」の三冊を、結局は当初の九冊分の値段で買うことになるローマ皇帝の寓話は、まさにかけがえのない情報の価値を暗示していてSociety 5.0時代にも通用する。
 三冊であれ、23万冊であれ、火にくべれば永久に失われてしまう情報を、スキャンして複製可能とし、OPACに登録して全文検索できる可能性が残っていることには期待が持てる。
 という記事をまとめるにあたって、ChatGPT August 3 Versionに《吾輩は猫である》に登場する樽金についてたずねてみたところ、「データベースに情報が含まれている」としながら、返してきた情報は「樽金は我輩と同様に猫である」というような、ほとんど誤まった理解にとどまっていて、この寓話の意味について考察し合うパートナーとしての資格が十分にあるとは考えられなかった。そのため、23万冊の稀少書の内容をまるごと学習することが大規模言語モデルに与える影響について意見を聞くことには至らず。
 

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