知識労働者と《プロフェッショナルの条件》

 今年の4月の初めには、中部地方の県知事さんが、新採用の職員に向けて、職業差別かもしれない訓示をしたのではと物議を醸したりした。報道されている発言の要約によれば、どうも県の職員たるもの知識労働によって県民を幸せにすべきであると伝えたかったのが真意ではないかと考えている。
 昨年3月のある講演では、ドラッカー《プロフェッショナルの条件》を引いてわれわれ知識労働者の寿命は帰属組織よりも長いと承った。
 ngarts.hatenablog.jp
 その時にはあまり気にもとめなかったが、退役の日が近づくにつれて、年金に収入を頼る心細さよりも、フリーランスなknowledge workerになれることに誇りと期待を感じたりもした。が、実のところ、筆者が最新の論文に(あまり)不自由なく触れられていたのは、実に帰属組織のサブスクリプションのお陰であったという事実に気づいたのであった。
 すなわち、ドラッカー氏の時代はいざ知らず、いまどきのようにヒト・モノ・カネに加えて情報がないと仕事にならないknowledge workerにとって、帰属組織をもたずフリーランスで研究を続けるのは経済学的困窮につながる、という法則を発見したようにも見える。
 後日記(2024-05-08)>ちょっと目を通してみたい旧刊絶版本が、市の図書館蔵書には見つからず。県立図書館の横断検索でも県内図書館に蔵書なしと出る。amazon.co.jpでの古書の販売価額は、年金生活している知識労働者が中身も確かめずに購入するにはかなり高い。

本ブログではamazon associate広告を利用しています。