本日無番のバスに乗って丘の上ホスピタルを定期受診。レントゲン撮影を終えてからキャフェテリアで油淋鶏ランチを食べていると、BGMでチムチムチェリーの懐かしいメロディーが流れてきた。思えば、《メリー・ポピンズ》も子どもの貧困(貧窮ではなく)や利他主義が主題の映画なのだった。
無番のバスで帰宅してから偶然見かけたヤングケアラーの記事に、衝撃を受けた。
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著者は「子どもの貧困と同じく、ヤングケアラーの問題は見ようとしなければ見えてこない」と書いておられる。まさに然り(なのだろうと思われる)。
「友達と遊ぶことができない」「睡眠不足」「体がだるい」「しっかり食べていない」「部活ができない」「周囲の人と会話や話題が合わない」、このようなヤングケアラーの特徴を読んで、筆者の心に去来するのは《銀鉄》のジョバンニである。ブルカニロ博士は、昭和2年に子供の権利を理解していた先覚者と言えるだろう。
12月臨時増刊号「いじめ 学校・社会・日本」に、「猫の事務所」が取り上げられていた(松井彰彦:いじめられる理由なんかない ゲーム理論からのメッセージ、pp. 170-179)。宮澤賢治作品の根底に流れているものに、今頃突き当たるとは、よほどおめでたいのか、感性が欠如しているのか。 図書館で「進化と人間行動」を探して読んだ直後であったので、このセレンディピティには驚いた。