《銀河鉄道の夜》

 朝目が覚めたら、下の子がアニメ版《銀河鉄道の夜》をつけて観てい(るうちに寝入ってしまったようであっ)た。1985年に公開された時には、映画館で3回か4回は観たが、あれからすでに27年…。宮澤賢治のご遺族には、原作のイメージとの齟齬でご不満がおありだったようにも聞いていて、ある時期ビデオが入手難で、テレビでの放映にも制約があったように記憶するが、今は銀河鉄道の夜 [DVD]として入手可能である。子どもが小さい頃にテレビで放映されたのを観ていて夜更かししてしまい、帰宅したCEOに大目玉を食らった記憶あり。
 千里中央の本屋さんでmononcle最終号を見つけ、その中にますむら・ひろし氏の連載漫画を見つけてアタゴオルの世界を垣間見たのが、大学を卒業する1983年であった。その後岡山に転居して、黎明書房でますむら氏のアタゴオルシリーズを買い占めて愛読するうちに賢治童話の漫画化のプロジェクトが始まり、そのシリーズの一冊として、銀鉄は《初期型》と《後期型》との両方が描き分けられたのであった。映画化の原作としては、後期型が使われている。このあたりの事情については、イーハトーブ乱入記―僕の宮沢賢治体験 (ちくま新書)に詳しかったと思うが、リフォームの際に散逸して見つからず。
 終盤のカンパネルラ捜索シーンの川の水の暗さに、イギリス海岸を思った。タクシーの運転手さんが止めるのも聞かずに、街灯もない真っ暗なイギリス海岸を散策したのは、実にこのシーンをより深く体験するためであったということに、今頃気がついたのである。
 その後、BSフジにチャンネルを替えて、みんなの鉄道智頭急行」を見る。当時週に一度副業に出ていた佐用駅の周辺の風景に目を凝らす。[映画]

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