質的研究と感染論

 筆者の研究材料は、国内外のその研究成果として公表されているデータになる。
 とっかかりとしてこれまでの研究の対象を総説的にいくつかのディメンジョンで分類しておく必要がある。
 こういう時筆者は論文のコピーの余白にマジックでそれぞれの属性を書き込んで広い机の上で二次元配置で積み上げて集約していた。
 今回もそうできればよいのだが、論文が全部で18000編ほどあって、従来の手法では立ち行かなくなるのが見えている。通常の総説で取り上げる論文は3桁台であろうから、100倍くらい大きい。コンピュータを活用すればわけもなかろうなどと考えるとおそらくは(残された)一生を棒に振りかねない。NHKなどで「AIに読解させた」論文のまとめみたいなのを出しているのは、Singularityの先に片足を突っ込んだような状態なのであろう。
 それでもこちら側でなんとかうまくやれないものかと考えてみる。Evernoteでタグを打てばよいようなものであるが、現在大元の論文はPubMedで検索して得たPMIDリストを利用してZoteroで採集していて、Evernoteとのやり取りのインタフェースがない。それで、質的研究に用いるQDA(qualitative data analysis)ソフトウェアで読み込める形になんとかエクスポートできないものかと思って探しているが、なかなか決め手になる情報が見つからない。
 藁をもつかむ心境で読んだ「磯野 真穂:臨床家のための質的研究 (前編) : 「方法」に走る前に身につけたい3つの構え」は、QDAソフトの使い方を知りたいという安易な期待を裏切って、神様の視点からではなく、肩越しの視点で、管理するのではなく理解しようとする態度を持って、データの質的平均ではなく新たなものの見方を発見しようとする構えが説かれている。
doi.org
 《川喜田愛郎:感染論》では、集団をみる上空飛行的な疫学と個体に向かう肩越しの感染論の視点の違いが説かれていたことを思いだし、全く違う分野に同じ相同性が成立することを大変興味深く思った。願わくは、ビッグデータの管理ではなく理解を進め、新たなものの見方を発見する構えで進んでいきたいものである。

本ブログではamazon associate広告を利用しています。