彗星(の軌道計算の先駆者)を追う

 高校の物理部で天体観測に明け暮れていた頃(1974-1976年)、世の中にはパソコンもマイコンもなかった。中学2年頃に電卓(カシオミニ)がイチキュッパ(19,800円)で売り出され、そろばんを駆逐していこうかという時代であった。これは亡岳父の遺品にもあった、AC電源につないでニキシー管で表示するようなタイプである。高校2年になる頃には、小さな電卓を自分で買うことができるくらいダウンサイジングとダウンプライシングとが進行していたが、8-bit CPU 8080マイコンボードキットTK-80の登場が高校3年生の夏休みである。
 その頃の高校の部室には、割と正方形に近いフォーマットの「彗星を追う」があって、彗星の軌道計算の手順が詳しく紹介されていた。計算機資源は手回しタイガー計算機であったように記憶する。観測に集まったのに雨が止まないような晩には、この本を読んで宇宙の彼方の彗星に想いを馳せていた。
 大学5年の頃、第23回流星会議で、天才東大生(だったと思う)が軌道計算の発表の場でFujitsu FM-8を使って計算を実演したのに衝撃を受けたのだった。計算機シミュレーションとかナンバークランチング方面に親近感があるのは、実にこの時のトラウマが元になっているのに違いない。とふと気がついた。40年近く衝き動かされ続けてきたその人物を調べてみようとしても、お名前がユニバーサルすぎて検索が難しい。《軌道計算テクニック》の訳者になられているのは間違いないようだ。

彗星を追う (1971年) (目で見る天文ブックス)

彗星を追う (1971年) (目で見る天文ブックス)

軌道計算テクニック

軌道計算テクニック

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