冷昌寺

 坂道を上がっていくと、衝突クレーターが池として残っており、今の時期は干上がって形状を確認できる。NEX-5Tをパノラマモードにして撮影するが、引きが足りないのでなかなかうまくいかず。目測で7 m×20 mの楕円のクレーターが残っているようである。

 令昌寺はそのすぐ上である。本殿脇に隕石堂が見える。

 お寺の縁起によれば、隕石落下は貞観十二年九月八日(西暦870年10月20日前後?)とのことである。10月20日前後となると、かのHalley彗星を起源天体とするオリオン流星群が極大となる時期であるが、オリオン座の輻射点が上る頃に「東天より飛来」したのであれば、理にかなっているように思われるが、果たしてこの隕石はハレー彗星と関連するのであろうか。

 隕石堂に祀られている隕石は、手で触れることのできる、世界的にも珍しいものである。ここまでやってきた甲斐があったというものだ。全体としてティアドロップ形をしているが、表面に空力加熱を受けて溶融したような痕跡はなく、衝突時に粉砕された破片の一部分のようにも見えない印象である。《柿本人麻呂と鴨山》によれば、昭和30年代にはさびれたお堂の「厨子の傍に置いてあ」るくらいぞんざいな扱いを受けて身近に体験できる形に展示されていたらしい。


 世界最古の落下を目撃された隕石は直方市の須賀神社にある重量472gのL6-コンドライトの石質隕石とされている。「翌日、深くえぐられた土中から黒く焦げた石が掘出され桐箱に納めて保存したという地元の伝承が残っている。桐箱の蓋の裏には「貞観三年四月七日ニ納ム」という墨書がある。」とのことだ。島の星隕石より9年前ということになる。
 今回の旅の主要な目標が達成できてホッとしたところで、風のように坂を降りる。最高速度51.3 km/hを記録。
 江の川の河口付近の堤防で潮風に吹かれて命の洗濯。駅前にあまり食事できるお店が見つからず、かなり疲れもたまっている感じなので、温泉津に足を伸ばすのは取りやめにして、本日の宿泊地である浜田市に移動。

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