江津市

 益田駅1031時発のおき2号に乗車。指定席車1両、自由席車1両の2両運転である。自由席車の真ん中寄りに元々車掌室であったとみられるスペースがあって、ここに豆御殿号をおいて、車窓の風景を眺める。1118時に江津駅到着。TNF BCダッフル(13.8 kg)とキャリーカート(3.6 kg)はコインロッカーに預けて身軽に出発する。
 駅の西側の崖の上に、吊り橋のような設計の江津市役所がある。

 そこから南に緩やかな坂を上がり、島ノ星山中腹の高津柿本神社をめざす。矢富熊一郎氏の昭和30年代の頃の紀行文を《柿本人麻呂と鴨山》で読んだのが、今回の旅のヒントになったのである。ただし、矢富氏はご子息と都野津の水尻川を遡行し、高角山に登った後、「開拓道路」を通って江津駅に下りて来られたようであるが、水尻川源流域は地形図で見ると現在でも迷いやすそうな道が交錯しているため、筆者は江津駅から国道9号線の島の星橋の下をくぐり、椿の里へと続く「開拓道路」を往還するルートをとる。最初はローギアでゆっくり進んだが、途中から押して登る。つくづく荷物をロッカーに預けて来てよかったと思った。島星山は、大変わかりやすくロゴマークの植樹あり。Google mapを意識されたのであろうか。


 約30分で高角山公園に到着。柿本人麻呂の「石見野や高角山の木の間より我が振る袖を妹見つらむか」に歌われた高津柿本神社は戦後この地に開拓団が入った時に公民館(現コミュニティセンター)とともに建てられたものであるらしい。人麻呂と依羅娘子の彫刻が設置され、隣接してグランドゴルフ場がある。今後高齢化が進むとだんだん上がって来られる方が減ってくるのではないかと心配になる。

 田中俊晞《な思ひ》2006.4 万葉銅像建立委員会
 神社を辞し、さらに進んで冷昌寺を目指す。途中で車で通りかかったおじさまに道を尋ねたら、ご親切に「椿の里」の奥にあると教えてくださる。しばらく進み椿の里の入り口に到達。おじさまは椿の里の事務所のところで待っていてくださった。毎日来られているのだそうだ。山腹一帯に椿の木が植えられており、季節になれば山全体が椿色になるのであろう。

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