今年はCEOからのみ拝領する。

おじいちゃんおばあちゃんになって縁側で二人でお茶を淹れて呑む生活がまじかであることを予感しつつ、この空き缶はその庵の看板のベースになると思って喜んでいる。
退役して義理チョコがなくなってセイセイしたとまで申しては、これまでお気遣いいただいてきたみなさまに合わせる顔がなくなるが、あらためて削ぎ落とされたソーシャルなしがらみを実感する。
日本で自分はあまりにも多種多様な人間のグループの中に属し、それぞれの役柄の異なる台本を読まされて、自分はいったい誰であるのか、それがわからない。ここ、プラハでは本当に一人になって他人の中にではなく、自分の中に入ってゆける。自分がプラハと恋愛関係にあるとはそういうことを意味する。(田中長徳《屋根裏プラハ》, p. 17)