ビーンバッグからビーズクッションへ

 金曜日に脊振周治院の部分的改修工事が終了して、男の隠れ家とリビングとの間の防音引き違い戸が撤去されて壁になり、エアコンが設置された。
 このことによって隣の部屋と熱力学的に切り離されたわけである。
 工事中には作業スペース確保のために室内の机やソファ(兼ベッド)の配置を変えていたのだが、その間に寝落ちするまで書類書きを続けられるレイアウトを求めてバウヒュッテホームページなどを拝見した。
 ソファ(兼ベッド)の背中から頭部にかけてビーズクッションをおいて壁面の投影を見やすくできそうだとか、どうせならヘタっているソファのクッションを撤去してビーズクッションベッドにしてはどうか。と考えるようになった。以前子どもからもらった誕生日祝いを二号庵に持っていっているのを召喚するのがよさそうであるが、これが「元祖」ヒトをダメにするクッションであったと今さらに気がついた。
 その昔鈴木則久先生がカーネギーメロン大学からXerox PARCに移ったときに、PARCの会議室の床のビーズクッションに思い思いに座って聞いている聴衆にプレゼンをしたという話を思い出したのであるが、今や即座にその原典が思い出せず、1時間ほどかけて、EvernoteGoogle検索を使ってやっとたどりついた。

 「また,PARCで有名だったのはビーンバッグを使った会議室を持っていたことである。ビーンバッグはウォーターベッドとともに1970年代にカリフォルニアで流行ったもので,豆を入れた大きなビニール張りのきれの袋で,これの上に座るようになっている。PARCでは講演を聴く部屋にはビーンバッグがずらっと置いてあって,聴衆は,この上に横になって講演を聞いていた。特に慣れない来客には行儀悪く見えたようで,PARCのビーンバッグとして悪名がとどろいていた。」(「」内 鈴木則久:研究者のテイスト-1990年代のコンピュータ,共立出版,1990,p.21から引用)
 当時はXEROXは超エクセレントカンパニーで、その付属研究所PARCは、マンマシンインタフェース、ワークステーションオブジェクト指向言語で世界をリードしていたので、横になって講演を聞くというスタイルがその先進の発想を生み出しているように感じ、筆者にはまぶしかったのであるが、四半世紀を経て「ヒトをダメにする」方向で流行するように変異しているのが感慨深い。そういえば、図書サブタイトルの「1990年代のコンピュータ」とは30年の昔を懐かしむ回顧録という意味ではなく、さあこれからCPUのクロックが数十MHzになってオブジェクト指向パラダイムでバラ色のコンピュートピアに突き進もうという期待に満ちた「未来のコンピュータ」の意味である。

 

 

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