甘酒饅頭の祖

 圓爾弁圓(1202年〜1280年)は、静岡市出身で宋に学び、仏教以外にも様々な文化・ハイテク技術を持ち帰った天才留学僧である。
 博多祇園山笠の発祥としても知られているが、水車を利用した製粉機械の構造図を中国から持ちかえりその実際運用に努め、穀粉加工を指導したことから、開山した承天寺境内には、日本饂飩蕎麦発祥の地、饅頭発祥の地の石碑がある。
 一方で、ブラタモリ#59さぬきうどんでは、菅原道真讃岐国司として滞在した建物を没後天満宮とした滝宮天満宮内の龍燈院で空海(774〜835)が唐から持ち帰った製粉技術を甥に教えてうどん作りを命じたとの伝承が紹介された。これが正しいとすると、圓爾弁圓は450年遅れて饂飩を再発明したことになってしまう。上述の木下製粉のホームページ著者は、空海の時代に龍燈院で水車を使って製粉した小麦粉で饂飩を作っていたかどうかは別にして、広く使われるようになったのは江戸時代以降であり、確実な最も古いエビデンスは圓爾の持ち返った「大宋諸山図」(京都東福寺蔵)とのことである。
 亡父の菩提を弔っていただいているトーチョージテンプルの開山は弘法大師空海その人である。
 その筋向かいの承天寺を開山した聖一国師が、托鉢先に教えた甘酒饅頭が700年を経てマルズミ製菓に伝来し、亡父の好物になっていたことを懐かしく思い出すのである。

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