Alan Mikliの眼鏡フレーム

Yahooのオークションに無いものはもはや無いのではないかというくらい、実に素晴らしい品揃えに感嘆する。
金属製品はもともと経年変化が少なく、保存が容易である。災害に遭わなければ昨日鋳造されたように出品されにくいものというのは確かにあって、これは要するに時代を経て壊れるものは必ず壊れて残らないということだ。
筆者が結婚前に何かの用事で上京した時に、NHKの首都圏向けローカルニュースにプログラマーと思しき同年代の青年が登場して、かけている眼鏡の外側の下のところが斜めにカットされているのが、cutting edgeであるなと感心して、岡山に戻ってタナカ眼鏡店に行ったらちゃんとあるので眼鏡を新調したのであった。
そのフレームは上の子が誕生した頃に何かで踏んで壊れてしまった。その時にはもう同じモデルはディスコンになっていた。爾来四半世紀が経過して、たまたまAquascutumで外側下を斜めにカットされたのを見つけて落札してしまった。しかしながら、ミクリオリジナルとは形のバランスが異なる。眼鏡を新調しようとは思わないが、もしそうなったらすぐに使えるようにと探してみても、どうも見つからない。Google画像検索にすらヒットしないのは、まだデジカメもjpeg規格もない時代だったので止むを得ないかもしれないが、眼鏡フレームは少数生産して、さっさと売り切るような商品であるようにも思われるし、材質がプラスチックであることも影響しているのかもしれない。

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