天命と天啓

 今週はじめに、何の前ぶれもなくおふれが掲示された。おふれの要点は個人名指しで、これまでのキャリアを総括し、今後の活動との連携についての考えを述べよというものだ。「部屋はどこにあるのですか」「どんな仕事をするのですか」と聞いてきた人は4人。候補者にノミネートされただけのことなので、大方は知ってか知らずか、そっとしておいてもらっている。
 夜なべ仕事で準備をして、夕食をとって、風呂に入り、ソファに横になって燈台放送に耳を傾けながら寝入るという生活を続けてきた。寝ている間もずっと考えているのであろうか、今朝起き抜けに、筆者のキャリアがすべて「つながった」マップが見えた。天啓が降りてきたというような感覚と多分似ている。稲妻の閃光で全体像が一瞬浮かび上がったのが、まぶたの裏に焼き付いてしまった感じであり、文章を書いているときのノってきた感じ(先の先まで見透せているわけではない)とはやや違う。
 筆者の海図に人生航路はかくのごとく設定されていた、などと思い込むのは、辞令を拝受するまでは危険である。辞令が出なければ航路の先が断絶してしまい、地平の端から奈落の底へ転落しかねないからだ。
 自分にしかないキャリアを活かし、これまでにないやり方で地元のみなさんのお役に立つ。そういう標識のない航路を作るというところは気に入っている。

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