和を以って貴しとなす

 昨晩日付変更線を越える頃疲れはてて帰宅すると、受験生のまん中の子が筆者のスリーピングスペースで寝ていて、起こすとしばらくボーっとしていた後、風呂に入ったきり出てこない。さすがに0130時にいたって、寝ていたCEOを起こして様子を見に行かせる。結局湯船で寝込んでいたらしい。筆者はそのまま風呂にも入れずに0200時すぎに入眠。
 …で、0645時にそのまん中今度は下の子の置き忘れたケータイの大音量アラームでたたき起こされ、その無神経さにあらためて怒り爆発。悪気はなかったのだからとCEOは子供をかばうのである。受験勉強に専念してほしい、と親が願うのは当然であるし、筆者もその年まわりにおいては親に甘えてきたことは間違いないのであるが、いくらなんでも腫れものの分際で度が過ぎる。
 十七条憲法に出てくる和とは、この時代、御門のご意向に下々のものが忍従することであったはずである。それがどれほどの犠牲の上に成り立ってきた貴いものか、聖徳太子にはお分かりになっていたはずである。「午前1時になっても風呂に入ることができない場合、風呂を占有しているヤシの部屋のまん中でバケツ一杯の水を頭からかぶるのでそのつもりで」と声明を発表することを太子は許してくださるであろうか。
 

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