河井寛次郎:部落の総体 in 火の誓い

 いろいろあった一日の最後に、篠突く雨の音を聞きながらお風呂読書。河井寛次郎さんは京都近郊の村の集落を見て回るのがお好きであったらしい。このエッセイには、「南山城の山田川村の大仙堂の部落から、大里、北の荘、吐師《はぜ》」、川西村菅井、そして川西村大字植田の集落をめぐった日のことが書いてある。
 特に、川西村大字植田の集落は「始めから終いまで自分(寛次郎さん)を魔法にかけてしまった」らしい。エッセイが発表されたのは昭和19年7月であって、もう64年もの歳月が「この部落の全景を支配している池」を埋め立ててしまっているのではないか、と気をもみながら、Google Mapで?次郎さんの足取りを追跡してみる。以前取材で降りた駅のごく近傍から歩き始めておられるとは、夢にも思わぬことであった。駅前には近鉄百貨店のビルが建っていたが、それ以外はふつうの昔ながらの駅前の通りであったような印象しかない。意外にも、これらの部落はいまだに田んぼの中にあって、家が立て替わったり、藁葺き屋根が瓦葺きに変わったり、耕地整理で道がつけ換わったりしているかもしれないが、ひょっとすると今歩いても「京都の廻りの農村は傷められたり汚されたりしていることが少ない」という、?次郎さんの感激を追体験できそうに思われる。
 なお、けい淮さんのBabaのひとりごとには、この(現精華町)植田の、池を隔ててみた寛次郎さんのお気に入りの景観が掲載されていた(2018年11月1日現在リンク切れである)。[本]

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