ずいぶん前にKL1の処理系をすんなり動かし(て悦にいっ)た記憶があるのに、ぐぐっても見つからず。大体何年くらい前のことかさえ覚束ない。家をリフォームする前、Asumiの頃であったように記憶しているのであるが。
ところで、いまどき「第五世代」というと、「新世代コンピュータ技術開発機構(ICOT)のめざした第五世代のコンピュータ」ではなくて「第五世代のiPod」らしいのである。
ところで、そのICOTの顔であられた渕一博氏は昨年8月13日にお亡くなりになられたと聞いた。1990年代にはノイマン型コンピュータに代わって、非ノイマン型の推論マシンが使われるとの構想通りの現実はやってこなかったようにも見える。筆者は不勉強であるから知らないが、その当時叫ばれたソフトウェアの危機は回避されたのであろうか。それとも、まだわれわれとともにあるのだろうか。
当時のプロセッサのクロックスピードよりも千倍以上速い石が使える今ならば、あえて非ノイマン型のコンピュータを作らなくても、安価なノイマン型で十分エミュレートできる気運が高まっていると思われるのだが、今はノイマン対非ノイマンでなくて、MS対オープンソースであるところに別の危機を見るべきか。[Linux]