なぜ勉強しなければならないのか

 思春期になって、こういう簡単なことがわからなくなったらしいまん中の子をどう言いくるめるか。考えてみると意外に難しいことに気がつく。
 「高学歴高収入」とか、「立身出世」とか、「身をたて 名をあげ やよはげめよ」とか、筆者が子どもの頃(第1次石油ショック以前)のビジネスモデルは、終身雇用制の崩壊したいまどきの社会ではすでに意味を持たないであろう。そうなると、人が生きる意味にまで立ち返って考えなければならないと思ってしまうのが、しすてまいざーの悪いところである。
 で、概略以下のように説明。
 人は、目に見えるかどうかは別にして、何かを作って暮らしている。大工さんが家を建てたり、CGアーティストさんがグラフィックスを描いたりするのは見えやすいけれど、音楽家は人の心を打つ音楽を作り、文学者は言葉だけで頭の中にしか存在しない世界を創造する。今きみたちが勉強しているのも、将来ものを作る能力を得るのに必要な、考え方の土台を頭の中に作ることなのだ。

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