令和元年のビーチコーミング 10回目

 秋のような、猛暑が続いているような連休初日は、講習会の後方支援で出社したが、2日目の日曜日は家族の予定が空いているので、思い切って志摩方面でのビーチコーミングを提案した。

 猛暑が続いた夏の間は、熱中症の心配があって日中の屋外での活動を思いとどまっていたが、先日の循環器内科定期受診でも運動不足を指摘されたところで、運動不足を解消するよい機会と考えたのである。

 ところが、この提案はCEOにはウケが悪い。ネゴシエーションの結果、「おじいさんは新宮浜へビーチコーミングに、おばあさんはイケア新宮店へリビングのテーブルの下見に」行くという妥協案(まん中の子談)を締結。

 強風波浪注意報が出てはいるが、大潮の潮回りのこの日、干潮時刻15時55分に向かって14時すぎに新宮海水浴場入り口から歩き始める。

 早々に大きな陶器片を見つけたが、平田分福氏の姿はどこにも見えず。

 約1時間歩いて青柳川河口に到達する手前で、もともとの直径が20 cm位ありそうなスカシカシパンを発見。 平田文福氏なみの厳重包装を準備するためにTNF Base camp duffleからプラスチック容器を取り出したがサイズが合わず。実際にはかなり堅牢で、内部の骨梁を観察できる標本となった。

Astriclypeus manni

f:id:suushinagai:20190916132131j:plain

Astriclypeus manni

 時にビーチグラスや小さな陶片が鏡のようにまったいらな遠浅の海岸でぽつんと筆者を待っていてくれる古賀海岸から花見海岸を歩き通して福間で回収される。

 

本ブログではamazon associate広告を利用しています。