手帳の巻末にほしい「人生のノイズ」

 中央公論社「自然」誌は、1940年代に創刊され、1980年代なかばに日経サイエンスニュートンのようなビジュアル系に取って代わられるまで、岩波の科学とともに硬派な科学雑誌として君臨していたと言って過言ではないだろう。もっとも、日経サイエンスの本国版のScientific Americanはもっと歴史があるはずで、変化に対応して見せ方読ませ方を進化させて生き残ってきた戦略は特筆に値するが、それはまた後日考えることにする。
 のちに新書化された連載記事のうちのベストセラー「理科系の作文技術」は、「自然」誌は知らなくてもどなたにも見覚えがあるはずである。

理科系の作文技術 (中公新書 (624))

理科系の作文技術 (中公新書 (624))

 また、物理学者の月例会コミュニティが、ロゲルギストのペンネームで交代執筆した連載エッセイも「物理の散歩道」として単行本化されている。
 Evernoteキリ番ページに中央公論社「自然」の総目次を登録した。巻号の順にタイトルと著者名とページ数が延々と続くだけともいえるが、読んでいて実に興味が尽きない。タイトルのつけ方のうまさに舌を巻くということもあるが、1970年からこのかたのテクノロジーの進歩をリアルタイムで見聞きしているので、時代の考証というような面もありそうに思う。しかし、その本質は新聞を隅から隅まで読むのと似ていて、検索すれば「ノイズ」と見なされるようなものが記憶の深海にチカっときらめくのをたずねるような、見えないものを狙って弾を打つような知の道草にある、と感じるのである。
 ちょっとした時間の隙間に道草するとしたら、筆者のEvernoteには、26,000のノートの道草の元がある。しかし、退屈な会議の間にEvernoteで「人生のノイズ」を知的深海に訪ねていると、視覚的にはスマホをいじって遊んでいるのと区別がつかなくてみっともなさすぎる。ここは、手帳と同じサイズに印刷して綴じたのを手帳の最後にはさんで、ところどころに付箋がついていたりするのを調べ物でもしているように演出したほうがよいような気がする。
 最近導入したAgendaなら、毎月ごとに、数十年前の今月出版された雑誌の書誌情報が配信されるような感じにできるかと思うが、おそらくここで大事なのは月ごとの目次ではなく、通年かそれ以上の総目次ということではないだろうか。
 国会図書館から書誌データを取得できるとして、あなたならどんな雑誌を選ぶだろうか。

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