35年かかってつながったミッシングリンク

 同じ下宿の山本哲也氏が谷山浩子やまがたすみこのファンであったのをきっかけに、筆者も谷山浩子やまがたすみこのファンになった。当時彼の持っていた《ねこの森には帰れない(1977年5月リリース)》、《鏡の国のアリス(1978年12月)》、《夢半球(1979年11月)》あたりを貸してもらって聴いていた。夢半球に収録されている《テングサの歌》には、思わず紀勢本線で岩代駅まで行ってしまうほどはまってしまった。お互い貧乏学生であったが、誘い合わせて厚生年金中ホールのコンサートに行ったこともあった。ただし、PAの酷さに幻滅して大阪駅地下街まで戻ってきて、お金がないのでカレーライスを半分こして食べたことを覚えている。
 《ここは春の国(1980年11月)》は、大島弓子綿の国星》に影響を受けた作品群であり、筆者には山本氏とは異なる方面での出会いや啓示もあった。
 そして1981年11月に《時の少女》が出た時、大学5年の筆者はFMでエアチェックしたのだろうか、カセットテープで買ったかもしれないがLPは買わなかったように記憶する。そしてCDもいまだに持ってはいない。
 筆者とますむらひろし作品との出会いは、1982年の年末に買った売れ残りのモノンクル6号であったから、《時の少女》との間には約1年のギャップがある。そして、引力圏から1光年も離れてしまっていたので《時の少女》のジャケットにますむらひろし氏のイラストレーションが使われていることに気がつくのに35年もかかってしまったのだった。

時の少女 (紙ジャケット仕様)

時の少女 (紙ジャケット仕様)

 

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