チェルノブイリ連鎖爆発阻止

日曜日の夜、たまたまチェルノブイリ連鎖爆発阻止を視聴。チェルノブイリ爆発は1986年の今頃であった。結婚する2年前のことである。当時住んでいた岡山でも、雨水中の放射性物質の増加が検出できるほどであったことを思い出すのである。壊れた炉心から放出された想像を絶する超高線量の放射能の中で、身を捨てて作業を行った無名の英雄たちの尊い犠牲で二次爆発が阻止されたことを知り、胸が締め付けられた。
ヒトのチカラではどうにもならない物理学的な脅威に生命を捧げたグスコーブドリのことを想う。火山の噴火の制御によって自然環境を変える、そのためには個体の滅亡をも厭わずというのは、明治の時代における「施己捨身」であったと思われる。もし宮澤賢治がご存命であったなら、どのような童話を書いたのであろうか。というようなことを考えて寝付くことを得ず。

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