客人を迎える

 下の子のハイスクールに遠く雲南省からやって来たグループのうちのお二人を二宿五飯でもてなす。前回は男の子であったが、今回は女の子二人で、一時的に五人家族となる。
 お一人は英語が堪能で、まず意思の疎通に困らない。もうお一人は、その子が通詞をすれば困らないという状況である。
 かなり辛くないと食べられないとか、学食でみんな七味を一瓶かけて食べていた、というようなデマがとんでいたので、辛いものグランプリができるかと期待していたが、別に味覚が特別なわけではなさそうであるし、皆が皆激辛嗜好でもないらしい。桃屋のザーサイは、家庭の味だと喜んでいたことを付記。
 実は、お風呂読書で積み上げていたニコンの使い方〈NO.4〉 (日本カメラ増刊)の中に、雲南省少数民族のかわいい少女のポートレートが掲載されていたのが気になっていたのであるけれど、プレゼントとして持ってきてくれた組紐細工から話題がそのイ族のことにおよび、件の本を供覧することとなる。イ族の写真を持っている家庭は、今回ホストファミリーの中でもうちくらいのものであろう(と鼻高々)。
 それにしても、約2000年にわたって文化の導き手であったかの国の文化は漢字や食のレパートリーとしてこの国に根づいているけれど、現代の文化というのには我々はなかなか馴染みがないものであることに改めて気がつくのである。言語の障壁が高いというべきか、思想的に相容れないところを遠慮しあっているというべきか、J:COMで中国の放送が視聴できるわけでもなく、若い人がふだん何を見て何を考えているのか、というような基本的なことはなかなかわからないものだ。J:COMのFOX crimeチャンネルでLaw & Orderばっかり見ているうちのファミリーが、アメリカの人が何考えてるか理解を深めているようにも思えないのだが…。

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