「川の発見・再発見」プロジェクト:九州・川のみちガイド―さあ、親子で遊びに出かけよう!!九州の川20、平成15年、阿部出版

 九州の名だたる河川のうち、特に環境保護とか流域の活性化に取り組んでいる20の川を取り上げ、それらの地域の取り組みと施設をリバーツーリズムの視点から親子で楽しめるガイドブックとしてまとめた本。先週近隣の**だらけにて購入した。末尾の「九州の楽しい川情報教えます!インターネットでも情報発信中!」とある九州川の情報室のURLにアクセスすると、福岡ママのためのインターネットも子連れDE CHACHACHAのページにリダイレクトされるのは、まあ6年も前の情報であるからしようがないのであろう…
 鹿屋市、高山町を流域とする肝属川も取り上げられていて、地図でバスはこの川沿いに走ったなと思ってみていたら、内之浦の西方の吾平(あいら)町(平成の大合併のため現在は鹿屋市)に、吾平山上陵があって、「神武天皇の父君、母君の墓。全国でも珍しい岩屋の陵で約100坪の窟内に大小2つの塚がある」そうなのである。ということは、ウガヤフキアエズノミコトとタマヨリヒメの陵墓は、古墳ではなく岩屋の中の塚であることに大変興味を持ったわけである。日向王朝第三世ウガヤフキアエズノミコトがお生まれになったのは鵜戸神宮と伝承されていて、これまた洞窟のようなところである。天孫族の死生観というのは、天岩戸の伝説に見るような、岩屋で生まれ、岩屋にお隠れになるというものであったのだろうか。
 《梅原猛天皇家の“ふるさと”日向をゆく (新潮文庫)》には記載がなかったような気がしているのだが(というのは筆者の勘違いで、明治時代どうしても鹿児島に聖地を持って来たい旧薩摩藩の政府高官の意向が働いて、鹿児島県の吾平が陵墓に認定された旨、記載あり―後日記)、日向王朝が高千穂から徐々に支配地域を拡大して、とうとう三世にして内之浦のあたりまで支配下に入れたのであろうか。あるいは、トヨタマヒメあるいはタマヨリヒメの出身であるワタツミ族の根拠地が内之浦あたりであったのだろうかなどと想像をたくましくするのであるのであるが、さて内之浦周辺にこの時代の遺跡はありやなしや。
 もう一つ、川内川の項に田の神(かん)さあが紹介されていて、「今年、えびの市が田の神さあを網羅した本を出した。」というのにも興味津津である。ずっと以前に、やはり**だらけでセレンディピティに出会った榊晃弘氏の写真集で、田の神さぁについては知っていたが、こちらの文献もぜひ手に入れたいものである。田の神さぁと庚申塔道祖神などなどもろもろの路傍の神様は、住民のご先祖の民俗の違いに由来するのであろうと想像してそう致命的な間違いにはならないのではないかと推測するのだが、果たして田の神さぁと庚申塔とが混在するような地域があるのかどうか。あるいはそういう文献があるのかどうか、勉強不足でわからないが、美櫛で聞いた方が早いのかもしれない。
 本書は、とりわけアカデミックではないけれど、川の流域の遺跡や文化財、そして伝説も紹介されていて、筆者にとっては示唆に富む内容であった。川は稲作に欠くことのできない水資源であり、また魚や貝などの水産資源をはぐくむものであると考えると、近代的にレジャー資源と割り切ってしまうのには抵抗がある。流域には地勢にも歴史にも多様性があるのに、いざ村おこしとなると判で押したように自然観察教室と川を堰きとめた天然プールとカヌースクールと温泉になってしまうのが、やや残念ともいえる。いや、コンテナは同じでも、コンテンツには多様性が出るなら、それでよいということであろうか。そのようなわけで今度の連休にどこの川に遊びに行こうかというのでこの本を求めたわけではないのは申し訳ない次第である。[本]

本ブログではamazon associate広告を利用しています。