春の気配

 野良営業の終了時刻を迎えると、この間まで真っ暗であったのが、今日はまだ明るい。年をとるほどに歳月の流れは加速していくように思われるが、春がそこまでやってきているという、いくつになってもうれしい予感がさわさわと皮膚をはいのぼってくる。
 自宅の庭の蝋梅は、樹力を温存するためであろう、今年もつぼみを切られていて花は見えず。よそで咲いているのを見かけて狼狽するばかりなり。リフォーム会社の社長さんが、「年取ってくるとこういう樹のよさがわかるようになる」と若年寄なことをおっしゃっていたのが、もう2年前である。それを昨日のことのように感じることができるくらい老成してくると、訓練しだいでは(訓練なしに?)年々歳々の蝋梅の枝ぶりをアニメーションのように時系列で呼び出すことも可能になってくるわけである。

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