カメラジャーナル終刊(124)号

 先週買い忘れしものなり。12年前の創刊から100号まではB5版8ページのパンフレットのような体裁で100円であったが、なかなか定期購読はできず、上京せし折にMapCameraさんなどでバックナンバーを買ってホテルで湯舟に浸かりながら読むのが恒例行事化していたものであった。
 2年前のリニューアルによってA5版100ページほどの本に変身。野良営業の道中、丸善@天神で購入できるようになって、毎月楽しみにしていたのであった。中古カメラブームが去ったと言うか、不況が来るところまで来たと言うか、飽きられて売れなくなるより先に終刊したというべきであろうか。
 チョートク師のカメラエッセイによる「マインドコントロール」で購入したカメラ・レンズは多い。特に現行のCanon EOS D60(カメラジャーナル113号の今月のカメラ)に、アダプターを介してソビエトレンズをつけるというスタイルは、ほとんどチョートク師の引力圏にあると言ってよいであろう。だが、こういうー一般的にはゲテモノめいたースタイルで、ちゃんと仕事になるわけである。といっても、単にきれいな絵を作ることが写真ではなくて、内なる自分の深奥に降りていく作業が写真であることもまた、全シリーズを通じてのチョートク師の教えであり、単なる中古カメラ蘊蓄の書でなくて、表現のための道具として、時にはクラシックカメラとデジカメが同列に論じられたという点は、どの雑誌にもない視点であったわけで、カメラジャーナルのおかげで、なんとか筆者も乗り遅れずにすんだわけである。
 連載の佃日記が読めなくなるのは大変淋しいけれど、毎日読みごたえのある日記をつけるのは、並大抵の苦労にあらざることは、やぢをニュースを顧みても明らかである。もう復刊はないということであるけれど、これまでのご苦労に感謝しつつ終刊を惜しむ。

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