出典

 イギリスのHGC発行のInside Informationのp.17。イギリスではbiobankプロジェクトでは50万人の老壮年者を対象にゲノムベースの調査研究が開始されようとしている。しかし、参加者に直接の利益はもたらさないこの研究の意義は"genetic solidarity and altruism"にあるという。
 というのは、ミッ*ーマウス師が持ってきてくれた9日付の朝日新聞夕刊の米本昌平氏のコラムの受け売りである(その前半には、前世紀末の遺伝学の「復活」が書かれていたりするのだけれど)。
 人類が連帯感と愛他心を共有するということ、これはこれでselfish geneの生き残り戦略の一環であるとも考えられるが、生き残りのためにはegoismの対極にあるaltruismに突っ走るというなりふり構わない利己的な遺伝子の柔軟性に驚く。が、対象者を気持ちよく―みずからを遺伝子の器と自嘲せず、尊厳を空しくせずに―大規模研究にいざなう精神的よりどころを突き詰めていくと、やはり広い意味での子孫に対する遺産、あるいは無償の人助けというしかないであろう。(とこのへんまで書いたところでミッ*ーマウスのインターラプションあり、一時中断)
 ボランティア魂にオーガナイズされた彼の国の立派なプロトコールに敬意を捧げる一方で、遺伝子レベルでは大腸菌もヒトも同じなわけ(←かなり乱暴)であるから、もっと生きとし生けるものに遺伝子レベルの連帯感を感じたってよいはずであるとも思う。というか、野良ロケは最大限大げさに言えば「遺伝子レベルでの連帯感の旅」なのである。というような思考の背景には、やはり仏教的な色彩があるようにも思うし、無意識にますむらひろし氏の「アタゴオル」の中の、生命の系譜を描いたものが想起されているようにも思われる。

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