実家を辞去して今治ステーションまで出てきて、Giantショップからしまなみツーリングに出発するサイクリストをひやかしているうちに、駅前のバスステーションからバスに乗って病院通いをしていた亡父を偲び、バスに乗って港務所まで行ってみた。われわれ夫婦が結婚した時に、今治三原高速艇でハネムーンに出発した場所である。当時島嶼部や広島県とをつなぐ船便の玄関口で、希望にあふれた利用客でいっぱいであった待合室が、今では人っ子一人いない廃墟のような空間になっているのは、人麿流に言えば「見ればさぶしも」である。
瀬戸大橋、しまなみ海道で海路が陸路に転換して、宇高連絡船や中四国フェリーが廃止されていったのは、いまさら言うまでもないことであるが、海上交通の情緒がなくなるのは寂しいものである。