鉱山跡を訪ねる旅は可能か|失われた採集と、いま残る道

 閉山した鉱山跡を歩いてみたいと思ったことはないだろうか。

 かつてはズリ山に登れば、結晶を拾うことができた時代もあった。
 だが今、その多くは立ち入りも難しい場所になっている。

 それでもなお、
 「鉱山跡を訪ねる旅」は可能なのか――。 

 鉱物採集は王侯貴族の趣味と言われていたらしい。
 地球の中で魔法のように作られたキラキラと光る結晶に魅せられた読者も多いに違いない。
 筆者は、小学校時代に「今治自然科学教室」でその魅力に取りつかれ、高校時代には、大きなリュックいっぱいに石を拾うクラブ活動をやってきた。

 昭和の頃まで日本には多くの鉱山が操業していた。
 昭和50年代に刊行された《鉱物採集の旅》シリーズのガイドブックには、当時稼働中の鉱山にちょっとお邪魔させてもらって、ズリ(掘り出した鉱石の中で品位が低く、捨てられたもの)の山からお宝を見つけたりするような情景が生き生きと描かれていて、いつの日かそうした産地を聖地巡礼する自分を夢見ていた。
 しかし、時は移って、多くの鉱山は採算が合わなくなって廃鉱となり、お宝探しも夢と消えてしまった。
 年月を経た平成時代の産地の状況をレポートされた《夫唱婦随の石探し》を読んで、昭和(の産地)は遠くなりにけりと感慨を深くした。今やその本すら絶版のようで、検索にもかからない。

 体力が衰える前に、藪漕ぎしながらそういう産地に入ってお宝を探す夢は、もう枯野を駆けめぐるまぼろしと消えてしまったのだろうか?と
 雪華堂書店様から拝領した古書目録速報74号を読みながら考えてしまった。
 膨大な目録の中で目を引いたのが、鉱山跡を巡る著作であった。
 そういうなかで、今でも鉱物採集の旅は可能なのだろうか?あるいは、登山の目的地に、閉山した鉱山の廃墟施設を選ぶという、ゲームチェンジのご提案なのか?
 これは単なる回想ではなく、
 「今でも行ける産地」を示すガイドなのか、
 それとも失われた時代の記録なのか。

 その答えが知りたくなった。

 《市之川鉱山物語》は、現在amazon.co.jpでは取り扱いがなく、商品紹介のページを表示できないので、amazon.co.jpのページへの直リンクを貼っておく。
Amazon.co.jp: 市之川鉱山物語 : 田邊 一郎: 本
 市之川鉱山(愛媛県西条市)は、剣のようなアンチモニー結晶を産出していたことで世界的に有名である。ちょうど中央構造線と瀬戸内側石鎚山の登山路のクロスするあたりに位置していて、筆者誕生の一年前に廃坑してからすでに70年近い。 同一県内で高校卒業まで過ごした筆者は、二番目に近い鉱山として意識していた*1。かつて筆者が小学生の(すなわち廃坑後十年経つか経たないかの)頃でも今治自然科学教室の見学地になったこともなく、坑道を見学したり、ズリ山で結晶が拾えるような興味を完全に封じる形で閉山されたようである。1975年刊行の宮久三千年《鉱物採集の旅〈〔2〕〉四国・瀬戸内編、築地書館》や、草下秀明《鉱物採集フィールドガイド、草思社》にも、市之川鉱山跡を訪問し、アンチモニー結晶のおこぼれに与るような記事はなかったと記憶する。

 以前葉書でトモエヤさんから取り寄せた愛媛地学会の地質図では、このあたりにキンバリーのような小さな円形の鉱脈が描かれていて、これが地下深くマントルに続いているのかとワクワクしたことを思い出した。実際には、長い年月掘り進めて、露頭が保存されていないことを踏まえてか、縮尺の問題であろうか、オンラインの地質図に鉱脈は描かれていないようである。
gbank.gsj.jp
www.tomoeyasyoji.com
 なお、西条市ご提供の「豆知識」は、往年の状況を詳細に知ることのできる貴重な資料である。広く公開されていることに感謝する。
www.city.saijo.ehime.jp

 四国を東西に横切る中央構造線の周辺には、ダイアモンドやルビーが算出すると噂されるような、興味深い鉱物産出地が多い。決して宝石に目がくらんでいるわけではないが、実家がなくなり足がかりを失って、このまま夜空ばかりを追いかけているうちに、鉱山跡も、遠い街*2も訪れないまま、気づけば最期の日が来てしまうのかもしれない。

*1:ちなみに、一番近いのが白岩鉱山、三番目が別子銅山である

*2:サグラダ・ファミリア教会やウィーン

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