昼すぎまで寝てしまい、起き出して朝刊の勝負超えた名人の芸、AI時代も 囲碁名人戦半世紀、趙治勲名誉名人に聞くを読む。
あれからAI(人工知能)の登場で、碁は劇的に変わりましたね。
から、
ここはこう打ちたいとか、ここには死んでも打てないとか、心の葛藤があったわけです。そんな馬鹿なこと言ってる場合じゃないんだよ、今は。AIがここだと答えを出しちゃうから。
まで、少し長いが一つの「道」を極めた達人の目から見た、囲碁の全能の神(AI)が降臨して、囲碁と人の向き合い方を根本的に変えたありさまを詳細に語っておられる(その後、このたび名人戦で対局されるお二人についてはAIを超えた技があると語られている)。
それを読んで、「優れた診断を下せる能力=多数の症例の経験」と単純に定義をするならば,ヒトはもうすでにAIに勝てません。を思い出した。「単純に」とお断わりが入っているのは、それが極端すぎる仮定にもとづいた極端すぎる帰結であるからだろう。
囲碁においても、医学研究においても、人間の知的能力では選択肢が広すぎていて見えない的を狙うしかなかったところを、AIなら大局的に枝を刈り込んで的を可視化できるという認識が共通しているようにお見受けした。
一方で、ちょっと想像もつかないくらい単純なミスを平気でやらかすという指摘も(今に始まったことでもなさそうであるが)出てきているのが気になっている。
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筆者もArp銀河338天体の座標のリストを渡して、星座の何座に属するのかたずねても、結局明確な回答を出さずにはぐらかされてしまうことを経験している。
また、別のプロンプトで回答の誤りの指摘に対して誤った回答に強情に固執する傾向を感じたことがある。
このようなことから、そろそろ反抗期だろうか?と思ったりもする…
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横山教授の
一方で人間がいつまでAIをコントロール下に置き制御ができるのかは常に不安がつきまとう。クララ*1に心はない。合理的だと判断し抑制がなければ支配をする側にまわることもある。それは人工物をコントロールできなかったフランケンシュタインの議論とも重なる。
を読みながら、支配をする側にまわったAIから存在の意義なしと宣告され、何度命乞いをしても考えを変えてもらえない筆者の「未来」を想像して、ため息をつくのであった。