阿部誠一先生に関連する記事へのアクセス増加について

 筆者の恩師である阿部誠一先生に注目が集まり、検索サイトを経由して、本ブログでの阿部先生や作品についての言及へのアクセスが増加しました。
 代表的な作品で高松市中央公園にopen artとして設置されている《女の子・二人》の、今月末の撤去が決定したことがマスコミ報道され、阿部先生のコメントも掲載されたのが発端です。筆者も何度か撮像させていただいたことがありますが、なかなか満足のいく立体像を得られず、新しいバージョンの3Dスキャンアプリでの再記録に挑戦したいと念願しておりました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b0b711d960bffb021bc956a12915123b44de257anews.yahoo.co.jp
 今月末にはとても間に合ず、大変残念でなりませんが、高松市民の方々による彫像撤去のご決定は、なによりも尊重されなければなりません。「アート県」を自認される香川県民さえ腹にすえかねるような、深いご事情がおありなのかとも感じています。
https://digital.asahi.com/articles/ASN9S73G5N9JPTLC02C.htmldigital.asahi.com
 わいせつか芸術かという議論は今に始まったことではなく、文化的な環境にそぐわない、女性蔑視的な風潮を強めるような趣旨があるかのように誤って鑑賞されかねないなどの理由から、移設あるいは補修工事時に一時撤去した後元に戻さないようなことはこれまでにも取り上げられたことがあります。また、昨今の盗撮動画の問題も少なからず影響しているのかもしれません。
digital.asahi.com
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 高松市民の方のご意見のパブリックビューイングでも「刺激的」という意見が多く、「見ていて恥ずかしくなる」という小学生の声もあったとのことです。
 それを文化と理解できる優越感を振り回し、上から目線で意見を異にする方をDISって撤去に反対するような、ある意味分断につながりかねないやり方は、筆者の意図するところではありません。阿部先生のご意見はさらに芸術家として純粋に生命力の美しさに戻って抗議するもので、老作家の重みある発言を巷間特に違和感なく受け止めてくださったように感じています。
 筆者の望みは、作家の方が制作に打ち込んだ情熱、展覧会出展時に賞を争ったライバル作家作品の所在、設置場所をめぐる議論や設置を推進したり、メインテナンスに心を砕く住民の方々の想いなどの彫像を取り巻く情報全体を文化としてとらえ、彫刻がそこにあることの意味づけや鑑賞のされ方が変わることです*1
 多くのマスコミで紹介される美術史では、これらの芸術作品は、終戦後軍人銅像の代わりに平和を希求する依代として建てられたと要約されています。
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 戦時中サプライチェーンを破壊され資源枯渇した国は戦争継続のため、国民の金属製品を供出させて兵器に転用したと聞きます。お国のためとは言え、大切にしていたものを身を切られる思いで供出された口惜しさが、終戦後の平和の希求の心情とあいまって女性像設置のビッグバンにつながったとするならば―戦後生まれで何一つ不自由なく育てられた筆者の無責任な意見ですが、これらの想いや彫像作品もまた、戦争や社会運動の記憶につながる遺産として、次代に伝えていくべきではないかと考えます。
 後日記(2025-08-23)>《女の子・二人》のあまりうまくいってないスキャンをプリントして、恩師に残暑見舞いをお送りしました。

*1:最近読んだ本の中ではっとした一節を引用させていただきます。『私たちがふだん何気なく、これはマイクロホン、これはテープレコーダー、これは吉田さん、これは明子ちゃんと呼んでいるときのこの呼びかた(呼びかたに傍点)は、たんなる記号(記号に傍点)なんですよね。みんな取りたててそこに深い意味をいちいち感じないでも、それを区別して呼ぶことができるわけです。(中略)でもその人のお父さんがどんな人なのか、その人がどんな幼年期を送ったのか、その人の家族にどんな歴史があったのかといったことを知ったとたん、たんに「吉田さん」とか「明子ちゃん」と呼んできたものに、たくさんの関係性やリンクが加わってくるわけです。たんなる記号(記号に傍点)ではなくて、たくさんの意味(意味に傍点)をはらんだ情報になる。』松岡正剛:17歳のための世界と日本の見方.春秋社,2006年、pp.28-29

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