ミノルタの語源は「稔る田」であるとは知っていた。
小学校の頃、理科で光学の授業があって、参考資料としてミノルタのカメラのカタログを持っていったことがある。今にして思えば、それはSRT-101か何かのカタログで、近所の写真屋さんで父親が取り寄せたものであったに違いない。一眼レフのカットモデルのレンズ表面に色の違う光線が入射し、複雑に屈折を繰り返してフィルム上に結像するまでを示した美麗なものであった。担任の先生はその次のページの作例の若い女性のヌードであったかセミヌードのポートレートの方に興味を惹かれていたようにも思われるが、これはかなりバイアスのかかった記憶なのであろう。
天体写真小僧として先鋭化していくその頃の筆者には、あまりミノルタというメーカーの光学器械には興味がわかなかった。上のような次第で、軟派な写真用の撮影機材のようにも思われたのかもしれない。実際に使うカメラは五藤光学製のアストログラフであったりAsahi Pentax SPであったりしたが、小学校の備品のNikonの10センチ屈折赤道儀、ついで高橋製作所の蛍石レンズを使ったアポクロマートレンズが憧れの対象で、Minoltaブランドの入り込む隙はなかったということなのであろう。高校のオフィシャルな写真記録を担当されていた写真館のご店主の機材もNikon FとF2を1台ずつで、バイトしているうちにNikon Fシリーズの操作になじんでしまい、大学2年の夏休みにワンシーズンバイトしてNikon F2とAuto Nikkor 58 mm F1.2を買った時も、本業のマクロ撮影用のレンズもNikonのレンズが定番となっていて、それ以外の選択肢など考えることもできなかった。
結局ミノルタとのご縁は、当地に引っ越して*メラの*タムラ原店に故障したCanonのコンパクトカメラ(MCクォーツデート)を修理依頼しようと持っていって、子供のポラロイド写真を撮ってもらった店長さんに相談して、結局それを下取りに購入したCapiosが初めてなのであった。
しかし、本格的なお付き合いはデジカメになってからのDimage Xt、X50で、まさに屈曲光学系デジカメの嚆矢である。Konica-Minoltaがカメラ事業から撤退してしまったので、ここで断絶してしまったが、今のFinePix Z300は、いわばX50の正常進化形である。Minoltaが当時のままならば、Xシリーズ後継機としてZ300を出していたのに違いあるまいと思われるのである。
そこで昨日買ったミノルタカメラのすべて―懐かしいミノルタ往年のモデル500機種を凝縮 (エイムック―マニュアルカメラシリーズ (735))であるが、見開きの広告がDimage X20なのである。まさにやぢをニュースの歴史の間にリアルタイムで出版され、絶版になったムックである。
お風呂でiPhoneを聴きながら、巻頭のMinolta TC-1の紹介記事を読んで、心底TC-1がほしい!と思わせられた。実際のところフィルムカメラを買ってもなかなか実用にはならないし、決してお安い買い物でもないのだが、時価15万の限定版のブラックボディーなど、眺めているだけでも惚れ惚れする。
それで、とじ込み付録になっているミノルタの一眼レフ用レンズの系譜を研究して、目利きになろうというのである。ミノルタカメラは、レンズ設計から光学ガラス調達、製造まで自社でまかなっていたわけで、その独自性のあるラインアップにもりもり興味が湧いてくる。実際のところ、お値打ち品がゴロゴロしている状況にはないが、長い目で良いレンズにめぐりあえば機材に加えたいと念じている。[本]