1400時すぎに「泥棒」とか「アーティスト」とかさんざんな呼ばれ方をしているエッシャーの展覧会に向け出発。須崎公園というのは、どちらかというと剣呑な場所に近いので以前から敬して近づくを得ず、の結界であったがCEOに途中で落としてもらって徒歩にて接近するに、その風景には見覚えあり。
例によって、福岡中の芸術に理解のある方々が大挙して押し寄せ、絵の前で立ち止まっている人の後で行列を作って正直に待っているマナーのよさなのでなかなか進まず。かけ出しの頃の写実的なリトグラフには後年の空間の歪みを描写に通じる卓越した筆の冴えを感じるけれど、それはそれだけのことである(ではないかもしれないが、そのままで終われば凡百のリトグラフ作家で終わったに違いない)。それにひきかえ、肝心の「上と下」とか「上昇と下降」の前ががらあきなのはいかがなものか。
エッシャーの宇宙
やゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環 20周年記念版
で四半世紀前から予習しているためか、「生まれて50年、はじめてほんものを見ますた(涙」というような感激も意外となかったのであった。それは別に縦1 mくらいのサイズのリトグラフには迫力がないとかいうのではなく、リトグラフがある意味ビットマップ画像であるためではないかと思われる。